ひとつ前の記事の内容とも関連するのだけど、「布」についてのハッとする気づきがありました。
とある方のお話の中で、家の中の「布」を見直そうというお話がありました。
「布」とは下着から使用しているタオル、カーテン、家の中にあるありとあらゆる「布」。私は、この「布」たちも例のごとく古びるまで使い倒していました。いや、います・・。自分の家の中で目に入る布、身に着ける布、使用する布が「あ〜ちょっと古くなってきたな」とちらっと思っても、「まだ使えるしな」と布からのサインをこちらの都合でないことにしてしまっている…
そのサインを無視することは大したことないと意識では思っていても、無意識下に与える影響は大きいのだそうです。言われてみればハッとするけれど、言われなければそのままにしがち案件…。なんなら言われてもそのままにしがちかも…苦笑
さらに、そのお話の中で「その布には見えないものも付着している」ということもありました。「見えないもの」とは、おそらく雑菌とかそういうものを指しておっしゃっていたのだと思うのですが、私はそのワードから文字通り「見えないもの」を想像しました。
それは「念」とか「気」とかそういった類のものです。
現に、新品の布であってもそこについてきてしまったそういうものを何回か感じたことがあります。布製品には付きやすいと言われますが、それは本当だなと実感していたのです。
でも、自分の家の中の「布」については無警戒でした…。よく洗ってるし、太陽に当ててるし、大丈夫、といった具合に。
よーくよーく考えれば、何年も家の中で使用された「布」たちは、人知れず少しずつ古び、原型はとどめているものの、色が褪せたり、ペラペラになったり、長年、私という「気」とか「念」とかを吸い込んでいるのです。その「長年」を長年使っていたら、逆にその長年の古びた自らの「気」とか「念」とかを取り込んでいることになる。
はい、ここでもいい「循環」が途切れ、逆に悪循環が起きていまーす。
このことに気づいた時、家の中の9割以上の「布」を交換しようと思いました。
下着はもちろん、長年着ている服、タオルや布団カバー、カーテン…などなど。さすがに一気には難しいので、徐々に。
手始めに、すぐには変えられないからせめて洗おうと思って、家中のレースのカーテンを洗ってみたら、
「あれ、なんか違う…」
雰囲気がなんか違うんです。見た目には汚れの落ち度はわからないのだけど、なんか漂っている雰囲気が違うんです。そういうことねーとひとりで納得。
家の中の大きくて滅多に洗わないもの、そんなに頻繁に洗えないもの、なのによく目に付くものは、一度洗ってみるのをおすすめします。洗ってみて雰囲気が変わらないものは、交換のサイン。
こんなこと、わかっている人には当たり前のことだと思うのですが、私のこのもったいない精神が「布」たちを疲れ果てさせていることを改めて思ったわけです。
そして、それはそのまま自分に返ってくるのだと。
あぁ、ありがたい気づきに感謝します。