それをこう呼ぶのが相応しいかわからないのだけど、
イメージしやすさでいうとこういう世界。
先日、道を歩いていたら車同士の交流を見ました。
縦列の中に横から一台の車が入ろうとしている。
手前の車がそのスペースを譲り、列に入れてもらった車の運転手はありがとうございます、とにこやかに頭を下げてその列に加わった。
私はそれを見て、「あぁよかった」と思った。
こういう世界で。
車の世界では別段なんてことない普通のことかもしれないし、それがルールなのかもしれない。
でも、こういう譲り合いが気持ちよく行われること、
それが普通に行われることって
すごく貴重なことだと、私はどこかで感じている。
ということに気づいた。
今回のことばかりでない。
他人同士の温かな交流を見ると、あぁこういう世界で本当によかったなぁと安堵するのだ。
安堵なのだ。
ということは、
こうではない辛く悲しく心が痛むような世界がすぐ隣り合わせにある、という感覚が存在しているのだとも思った。
その冷たい世界をなぜか知っているからこそ、そんな些細な光景に安堵する。
そして、私自身もできるだけ争わず、優しさを求めてしまう。(これはこれで弊害もあると感じているが…)
変えてみよう。
冷たい世界の存在など感じないほど、安堵などしないほど、
温かい世界、優しい世界は当たり前にありがたくそこにあると。
私の心の裏側にある不安をまたひとつ見つけました。
誕生日の出来事でした。吉方位にて。