先日、10年以上前の家計簿をふと開いてみました。
するとそこには、家計をなんとかやりくりする若き日の自分の影が見えまして、なんとも感慨深かったです。だって、今月給与日まで1日何円使えるとかエクセルで出していたんですよ。我ながら健気…。そんなことしていたことすら忘れていました。
今も変わらずエクセルで家計簿をつけていますが、収支を記録するのみ。カード決済などはすべて一覧で出てきますので、それを転記して、ざっくりと費用別に振り分ける。
だが、これが割と時間かかるんですねぇ。月に一回集計日を設けるのですが、家計簿時間4時間ほどはかかってます…。もっと短くならないかなぁ。
あの頃から特に収入も増えていないことが悲しみに浸ってしまう部分です。このままこの生活を送っていたら、この生活が永遠に続くだけだ。頭ではわかっていたんです。でも、だからといってどうすればいいのか、私ができる範囲で何ができることってある? ないな…。そう思っていました。諦めていたわけではないけれど、八方塞がりのような気持ちで何もできずに、何年も何年も過ぎて今にいます。
今、振り返ると、今までの自分はそーっと生きていた。なんとかこの範囲でやりくりして、決して足を出さずに狭く小さく細長く、次の給与日までを数える日々。お金がかかることを我慢する日々。そんな印象だ。夏休みもろくに取らないし、取ったとしてもパーっとできない。どこにも行けない。休みというだけでこの上なく嬉しいけれど、その休みは特に日常と変わらない。
そんな日々を嫌だ嫌だと過ごしていたわけではない。むしろ、私は家が好きなので窮屈さを感じながらもそれなりに楽しく過ごしていた。でも、その根底には「お金があったら〇〇したいなぁ」「お金があったらどこどこ行きたいなぁ」が押し込められていることに、最近気づいた。
人間の意識は恐ろしいもので、どうせできないんだから、って自分の願望にそっぽ向き、見ないようにしていると、だんだんそれが見えなくなって、感知できなくなって、なかったことになってしまうんですねぇ。でもまぁ、それが今の生活をなんとか続行させるために必要で起きていることだったりもする。
だからといって、自分のやりたいことをこれからもずっとこうやって我慢して生きて行かなければならない理由もないよね。「本当はこうしたいんだ!」を再取得したら、今度はそれを実行する方向に舵を切ろう。この人生は一度きりしかないしね。
昔の家計簿を開いて見えた、頑張っていた過去の自分の後ろ姿からのメッセージのようでした。